またまたジョンウン君、ミサイルどん!
米国全エリア射程内、「火星シリーズ」は開発スピード驚異的。北にはスーパー優秀なミサイル技術者がいるに違いない。
今日、マーケットで一番反応してるのが、なぜかビットコイン。225も続けて反応するのか?
時節が気になるので、過去の似た例、イラク戦争のパターンが参考にならないか考えた。何が似てるかというと、焦らすとこ。細かな事情は異なるが、本質は変わらん。
止むを得ない
投稿:2017/11/29 更新:2017/11/29 by Whiteduke
またまたジョンウン君、ミサイルどん!
米国全エリア射程内、「火星シリーズ」は開発スピード驚異的。北にはスーパー優秀なミサイル技術者がいるに違いない。
今日、マーケットで一番反応してるのが、なぜかビットコイン。225も続けて反応するのか?
時節が気になるので、過去の似た例、イラク戦争のパターンが参考にならないか考えた。何が似てるかというと、焦らすとこ。細かな事情は異なるが、本質は変わらん。
イラク戦争(イラクせんそう)とは、アメリカ合衆国が主体となり2003年3月20日から、イギリス、オーストラリアと、工兵部隊を派遣したポーランド等が加わる有志連合によって、イラク武装解除問題の大量破壊兵器保持における進展義務違反を理由とする『イラクの自由作戦』の名の下に、イラクへ侵攻したことで始まった軍事介入である。
正規軍同士の戦闘は2003年中に終了し、同年5月にジョージ・W・ブッシュにより「大規模戦闘終結宣言」が出たが、後にイラク国内で、アメリカが指摘した大量破壊兵器が見つけられない、イラクの治安悪化が問題となり、イラク国内での戦闘は続行した。2010年8月31日にバラク・オバマにより改めて「戦闘終結宣言」と『イラクの自由作戦』の終了が宣言され、翌日から米軍撤退後のイラク単独での治安維持に向けた『新しい夜明け作戦』が始まった。
2002年
ブッシュ大統領は2002年初頭の一般教書演説において悪の枢軸発言を行い、イラク、イラン、北朝鮮は大量破壊兵器を保有するテロ支援国家であると名指しで非難した。特にイラクに対しては、長年要求し続けた軍縮の進展の遅さと、大量破壊兵器の拡散の危険を重視し、2002年に入って政府関連施設などの査察を繰り返し要求した。
一方、かねてよりフセイン政権と対立していたイスラエルは、2002年4月にベンヤミン・ネタニヤフ元首相が訪米して「フセイン大統領は核兵器を開発中である」とその脅威を訴えたのを皮切りに、同年5月にシモン・ペレス外相がCNNの取材に「サッダーム・フセインは(米同時多発テロ事件首謀者とされる)ビン=ラーディンと同じくらい危険」と答えた。アリエル・シャロン首相も、イラクへの早期攻撃を求めた[91]。また、ヘブライ大学のシュロモ・アヴィネリ(英語版)教授は、『ロサンゼルス・タイムズ』にイラク戦争反対派を1930年代ナチス・ドイツへの宥和政策になぞらえて非難する論文を発表。宥和政策の否定は開戦支持派の有力な主張となった。
2002年11月8日、国連では、イラクに武装解除遵守の『最後の機会』を与えるとする国際連合安全保障理事会決議1441が全会一致で採択された。イラクは「悪の集団」による「邪悪な決議」と非難したが[92]、UNMOVICの受け入れを容認し、4年ぶりに全面査察に応じた。また、決議には30日以内に報告するという規定があったが、イラクは「邪悪な決議」であることを理由に期限の延長を申し出たが、受け入れられなかった。12月7日にイラクは膨大な量の申告書を提出した。
2003年
2003年1月9日、UNMOVICのハンス・ブリクス委員長とIAEAのモハメド・エルバラダイ事務局長は安全保障理事会に調査結果の中間報告を行った[93]。この中で、大量破壊兵器の決定的な証拠は発見されていないものの、昨年末に行われたイラク側の報告には「非常に多くの疑問点」があり、申告書には「矛盾」があるとした。また、イラク側が国連ヘリコプターによる飛行禁止区域の査察を拒否するなど、査察非協力も明らかになった[94]。1月16日には化学兵器搭載可能なミサイル14基の存在が不明であるとUNMOVICによって説明され、イラクが長距離弾道ミサイルに該当しないとしていたアルサムード2の射程が安保理決議違反であると認定されたほか、炭疽菌、タブン、ソマンなどの生物兵器・化学兵器廃棄情報が確認されないなど、イラク側が申告した内容には虚偽の内容があるとされていた[95]。このためアメリカとイギリスは、イラクが安保理決議1441に違反したものとして攻撃の準備を始めた。
2月14日から2月16日にかけてカトリック教徒でもあるイラクのターリク・ミハイル・アズィーズ副首相はバチカン、イタリアに渡りローマ教皇ヨハネ・パウロ2世と会談するなどして戦争回避姿勢を国際社会にアピールした。
3月7日、UNMOVICは2度目の中間報告を行った。アメリカは査察が不十分であるとして、攻撃に関する決議採択を行おうとしたが、フランスは査察期限の延長を求めた。アメリカ、イギリスに加え、この時点で理事国ではない日本は、態度が不明確な非常任理事6か国に決議賛成の根回しを行ったが、失敗。このため、フランスが拒否権を行使することなく決議否決となる可能性が高まり、アメリカとイギリスは決議無しでの攻撃に踏み切ることにした。
ブッシュ大統領とウォルフォウィッツ国防副長官
2003年3月17日、先制攻撃となる空爆を行った後、ブッシュ大統領はテレビ演説を行い、48時間以内にサッダーム・フセイン大統領とその家族がイラク国外に退去するよう命じ、全面攻撃の最後通牒を行った。一方フセイン大統領は、自国に向けた演説では徹底抗戦を主張していたが、それまでに2通、そして最後通牒後に更に1通、計3通の同一内容の書簡をブッシュ大統領宛てに送った。内容は「米政府が政権交代を求めなければ、あらゆる要求に完全に協力する用意がある」というものだったと言う。アメリカ側はこれら3通の書簡を全て受取り拒否した上で[96]、2日後の3月19日(アメリカ東部標準時)に予告どおり、イギリスなどと共に『イラクの自由作戦』と命名した作戦に則って、侵攻を開始した。
- 2001年9月11日 - アメリカ同時多発テロ事件で約3000人が死亡
- 2001年9月16日 - 国家哀悼日に、ジョージ・ウォーカー・ブッシュ大統領が「この十字軍、テロとの戦争は時間がかかるでしょう(This crusade, this war on terrorism is going to take a while.)」と発言。
- 2001年10月7日 - テロの報復としてアメリカ合衆国がアフガニスタンを攻撃(対テロ戦争、アフガニスタン戦争)。
- 2002年1月29日 - ブッシュ大統領が一般教書演説でイラクを非難する悪の枢軸発言を行う。
- 2002年8月26日 - リチャード・チェイニー米国副大統領は「イラクの核脅威は、予防的攻撃の正当性を証明している」と発言。
- 2002年9月24日 - イギリスの下院において、トニー・ブレア首相は「イラクは、化学兵器と生物兵器を保有している。イラクのミサイルは45分間で展開できる」と断言した。
- 2002年11月 - 国連決議1441により、イラクが4年ぶりに国連の査察を受け入れ、同決議の第3項が定めるところに従い、武器申告書を査察団に提出。
- 2002年11月 - コリン・パウエル米国務長官は「サッダーム・フセインはガス壊疽、ペスト、チフス、コレラ、天然痘など、数十種類もの病原菌の研究に着手した」と述べた。後に、その全てがCIAの誤情報による虚偽であり間違っていることが判明した。
- 2003年[編集]
- 開戦前夜[編集]
- 1月9日 - 国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)と国際原子力機関(IAEA)から国連安保理へ中間評価報告。イラクが国連決議に違反したと疑われるような証拠、痕跡はないとされた。
- 1月16日 - 申告書に掲載されていなかったものと考えられる化学兵器搭載用ミサイル12基が発見される。
- 1月28日 - ブッシュ大統領は演説において「バグダードが、ナイジェリアから核兵器に利用できる酸化ウラニウム500トンを買おうとした」と説明した。後に、イギリス諜報機関から入手したこの情報は嘘であったことが判明した。
- 2月5日 - イラクが大量破壊兵器を隠し持っていることを示す証拠をアメリカ側が安保理にて提示(パウエル報告)。
- 2月14日 - 査察団の再報告。武装解除の進展を積極的に評価しつつも、査察が完了しておらず、まだ時間が必要であることが示唆された。
- 2月15日 - 戦争拒否のデモが特にこの日世界的に行われる。
- 2月28日 - 中間報告書が公表される。
- 3月7日 - 2度目の中間報告が公表。この後、アメリカ側は査察は不十分として、戦争をも辞さないとする新決議を提案したが、フランス等は査察は成果を挙げており継続すべきと主張した。途中チリなどが修正案も提示したが、アメリカは拒否。
- 3月15日 - アメリカ、イギリス、スペインがアゾレス諸島で密談。[要出典][2]安保理では新決議案が反対多数で否決される見通しとなったため、アメリカは安保理での裁決を避け、独断で開戦に踏み切ることを決定した。
- 3月17日 - ブッシュ大統領がイラクに対して、テレビ演説で最後通告。フセイン一族と主要閣僚の48時間以内の国外退去を命じる。フセイン大統領は徹底抗戦を宣言。
今となってはイラク攻撃の正当性など無かった事が知られている。しかし当初から対テロ報復大義名分のもと、ブッシュ君の「やる」意思は固まっていた。
ところが国連常任理事会テーブルに乗ってから、石油利権で各国ご都合合戦。
焦らされたんだわ~。
結局、年越し3月下旬、「大量破壊兵器なんて、どこにも無いんじゃないの?」という意見が多数の中
ウヤムヤのまま、攻撃開始。
イラク戦争当時、マーケットで一番動いたのが、NYMEX原油。開戦は、ちょうどチャートで湾岸戦争と同じ45ドル天井を作った後。
ブッシュ君がテレビ出演。知ったら終いで、暴落。
さて今回、どうなるか?またマーケット動向で時節が決まるか?