「ホントは刑法の賭博罪なんて戦前の条文で、目的合理性失ってるから、論理的に無効なんだよね。でも今更警察利権の手前、言えないなぁ。参ったなぁ。でも、みんなやってるでしょ?」
賭け麻雀は違法なのか?
政府の定年延長法案でモメていたところ、麻雀とカジノが趣味という東京高検の黒川検事長が、週刊文春からの情報で、新聞記者相手にプライベートで「賭け麻雀」をやった、と話題に。賭けなのかどうか曖昧なまま、当の本人は辞意を表明。
刑法の賭博罪というのは、戦前から続く条文。憲法は思想が180度変わったのに、刑法はそのまま。だから「賭博場開帳」とか「博徒」なんて古めかしい言葉が並ぶ。趣旨は、「賭け事の一切を禁止する」。
第二十三章 賭博及び富くじに関する罪
(賭博)
第百八十五条 賭博をした者は、五十万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭かけたにとどまるときは、この限りでない。
(常習賭博及び賭博場開張等図利)
第百八十六条 常習として賭博をした者は、三年以下の懲役に処する。
2 賭博場を開張し、又は博徒を結合して利益を図った者は、三月以上五年以下の懲役に処する。
そしてその目的は、「勤労の美風を守るため」。
まぁ、戦前も競馬はあっただろう。親分国英国の伝統だし、今まで続く「天皇賞」があるぐらい。現人神は恩赦を与えることが出来る。
ところが戦後、笹川サンのモーターボートや朝鮮系のヒトたちのパチンコ・ビジネスが広まった。そこからおかしな解釈が始まる。公共団体が運営すれば違法阻却。風営法を作文し、警察が監督し、換金所を知らない事にすれば「遊戯」。実態はギャンブルだし、ギャンブルでなければ誰も行かないだろう。そして個人が国内で賭博ビジネスを始めると、逮捕される。要は役人利権、警察利権。大人の世界=嘘つきの世界。
競馬の天皇賞は未だやってるし、天皇は人間宣言しちゃったんだから、法の目的を貫徹するなら、天皇を逮捕しなきゃならないぞ?
そもそも「勤労の美風」が、本当の目的は、聖書のパウロの「お前らは労働に励んでオレ達に税金を納めろ」だから、それが自分らがビジネスに入り込むようになり、おかしな解釈運用になり、法的アノミー(倫理崩壊)を起こしてしまったのだ。
自分らも遊ぶんだから、矛盾してる。自分らも守れない法律は廃止しなきゃ。そもそも日本には役人利権で、海外より法外にハウスエッジの高い、勝ち目のない賭博がいっぱいある。保険とか信託とか追証のある投資。本質は全部ギャンブルだ。
話を戻し、かつて民間から「賭場を開くのも職業選択の自由なんじゃないの?」と争った、上記の最高裁判決。裁判長は、「刑法は立法府側(国会)の問題だから、裁判所ではどうも出来ない。どうしても我慢ならないのなら、政府に対し革命を起こしてくれ」という結論。
結局、「賭博罪」自体が「法の目的」を失ってる。官僚機構のアノミーの起源はどこか?そもそも国家公務員法の段階で、アメリカから輸入した自由民主制、日本国憲法を裏切っているのである。
要するに賭博規制は100%政治。役人の稼ぎの問題。未だにインカジで逮捕者が出るが、ホントは規制で商売繁盛なんじゃないの?
検事長なら、そのぐらい認識してたはず。本当は今の政府から逃げたかったのかもしれないけど。
これから。これまでの常識が繰り返されるか?時代は変わってしまった。民衆の怒りが溜まってる。財政が吹っ飛んだら、歴史の法則。最後はリパブリーク(の儀式)ですわ。