時は1929年、株投資ブームに沸く世界の金融センター、ウォール街。
ジョセフは相場師。後に長男を大統領へ導くが、当時は国家を操る力など思いもしなかった。
自分の投資グループを使い風説流し、宣伝。投資家たちを引き付け、株価が十分に上がったところで売り切る。これが彼の稼ぎ方。
しかしそれまでは、上昇局面での常識的下落幅。
暴落の時を待つ相場師
投稿:2016/12/13 更新:2017/12/13 by Whiteduke
時は1929年、株投資ブームに沸く世界の金融センター、ウォール街。
ジョセフは相場師。後に長男を大統領へ導くが、当時は国家を操る力など思いもしなかった。
自分の投資グループを使い風説流し、宣伝。投資家たちを引き付け、株価が十分に上がったところで売り切る。これが彼の稼ぎ方。
しかしそれまでは、上昇局面での常識的下落幅。
BLOGOS 記事 内藤忍2017年12月12日 19:51
ついに日本経済新聞の朝刊一面にビットコインが取り上げられました(写真)。過去2ヶ月の世界の取引の4割を日本円が占め、日本人の取引シェアが世界最大になったと報じています。
グラフを見ると、年初は中国の人民元が9割を超えるシェアだったことがわかります。当局の規制によって人民元取引はほとんどゼロまで低下しています。
日本国内では投機的な資金が大量に流れ込み始めています。取引所大手のビットフライヤーの利用者数は昨年末の2.5倍になっているそうです。日本の取引参加者は既に100万人を超えたと推定されています。
アメリカでは今月からシカゴ・オプション取引所(CBOE)でビットコインの先物が上場しました。今後、さらに仮想通貨関連のオプションや、上場投資信託(ETF)の上場も計画しているようです。これによって、さらに市場の厚みが増すのではないかと期待が高まります。今後、個人投資家の数が更に増え、機関投資家が本格的に参入すれば、さらに市場参加者が増え、需給バランスから一段の価格上昇というシナリオもあり得ます。
一方で、すでにバブルだという声もあります。価格に対する判断基準がない中でも急激な価格上昇で、変動率は高まっています。今月も円ベースで230万円まで上昇してから、一点して150万円まで下落。そこから数日でまた200万円前後まで戻ってきました。・・・
この株式の崩壊を表すために、「ブラックサーズデー」、続いて「ブラックフライデー」、「ブラックマンデー」および「ブラックチューズデー」の4つの段階が通常使われている。大暴落は1日の出来事ではなかったので、この4つの段階はすべて適切である。最初の暴落は1929年10月24日(木曜日)に起こったが、壊滅的な下落は28日(月曜日)と同29日(火曜日)に起こり、アメリカ合衆国と世界に広がる前例の無い、また長期にわたる経済不況の警鐘と始まりに急展開した。株価大暴落は1か月間続いた。
経済学者や歴史家達は、この株価大暴落が、その後の経済、社会および政治の出来事にどのような役割を演じたかについて意見の一致をみていない。「エコノミスト」誌は1998年の記事で、「手短に言えば、世界恐慌は株価大暴落と共に始まったのではない」と主張した[4]。さらに大暴落の当時に、世界恐慌が始まったのかどうかは明らかではない。1929年11月23日、「エコノミスト」誌は、「大変深刻な株価大暴落が工業生産の大半が健全でありバランスが取れていたときに工業に深刻な後退を生むだろうか?……専門家は、幾らかの後退はあったに違いないが、それが長引くものか、全体的産業不況を生み出す期間まで続く必要があったかを証明する十分な証拠が無いことに同意している。」と問いかけた。しかし、「エコノミスト」誌は、「幾つかの銀行は疑いも無く破綻し、また今後も予測されている。このような状況下で、銀行は商業と産業の資金を繋ぐ余力があるだろうか?ないだろうか?銀行の位置付けは疑いも無くこの状況下のキーであり、何が起ころうとしているかは霧が晴れるまで適切に評価できるはずがない」とも警告した[5]。
1929年10月の大暴落は、アメリカ合衆国における不動産価格の低落時期(ピークは1925年だった)に来ており、工業化諸国における経済後退時期である世界恐慌に導く一連の出来事の始まりに近い時であった。
身なりを気にしないジョセフは、ヨレヨレのスーツ姿。
少年が話しかけてきた。
ジョセフは知った。
「そろそろ、だな」
・・・早ければ
北とか中東とかあるんで、年明ければ別の市場に流れるだろうね。ビットコインは、落ち切るのを待つか・・・