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相場の知識

ドル円がJPY/USDでない理由(為替の歴史と円高バブル)

円高バブルがホントの日本のバブル

投稿: 更新:2017/06/24 by

ドル円・円ドル

EUR/USDやGBP/USDなど他のドルストレートペアは米ドルが分母なのに、なぜドル円(USD/JPY)は分子に基軸通貨の米ドルがくるのか?調べても納得のゆく答えがないので考えてみた。

目次

ドル円表示のややこしさの理由

為替は通貨と通貨の相対価値変動。たとえばUSD/JPYのチャートだけ見て上がってる場合、ドルが高くなったからなのか、円が安くなったからなのか、原因が分からない。分子USDの価値が上がるとチャートが上にゆき、分母JPYの価値が上がるとチャートは下向きになる。

どっちが強いのか分からないので、メタトレーダーのタブを切り替えてEUR/USDやGBP/USDのチャートを眺める。これらのチャートが下に行ってるのを見て初めて「ドルが強いんだな」と分かるのだ。比較して初めて値動きの原因が分かる。

しかもドル円だけ分母分子が逆なので、ドル円は逆に解釈しないといけない。慌てるとカン違いしてポジションを建ててしまう。

なぜドルストレートのドル円はトレーダーに分かりにくい表示にされたのか?

為替相場の起源から

第二次大戦後の自由主義最強国はアメリカ。戦略資源の原油取引が米ドルでなされるようになり、米ドルが基軸通貨となった。しかし当初は米ドルには金による価値の裏付けがあり、交換レートは固定されていた。

ブレトン・ウッズ協定wiki

ブレトン・ウッズ協定(ブレトン・ウッズきょうてい、Bretton Woods Agreements)は、第二次世界大戦後半の1944年7月、アメリカ合衆国のニューハンプシャー州ブレトン・ウッズで開かれた連合国通貨金融会議(45ヵ国参加)で締結され、1945年に発効した国際金融機構についての協定である。「アメリカのドルを基軸とした固定為替相場制」であり、1オンス35USドルと金兌換によってアメリカのドルと各国の通貨の交換比率(為替相場)を一定に保つことによって自由貿易を発展させ、世界経済を安定させる仕組みであった。この体制は1971年のニクソンショックまで続き、戦後の西側諸国の経済の復興を支えた。この協定に基づいて確立した体制のことをブレトン・ウッズ体制という。

ところがニクソン大統領の大号令により、ドル紙幣を銀行に持って行っても、金と交換してくれないことになった。不換紙幣のはじまり。

金の裏付けを失ったペーパーマネーたちは数字をいじくる操作によっての固定相場を維持する事が出来ず、変動相場で交換がなされることになった。固定相場のスミソニアン体制から、なし崩しでキングストン体制変動相場へ。

変動相場制wiki

変動相場制(へんどうそうばせい、floating exchange rate system)とは、為替レートを外国為替市場における外貨の需要と供給の関係に任せて自由に決める制度である[1]。フロートあるいはフロート制とも呼ぶ[1]。オンライン化された国際証券集中保管機関により運用される。

1944年から続いた固定相場制度の時代をブレトンウッズ体制という[1]。1971年8月15日、米国のニクソン大統領は自国のドル流失を防ぐため、ドルと金の交換停止を発表した(ニクソン・ショック)[1]。それを受け、1971年12月通貨の多国間調整(金1オンス=35ドル→38ドル、1ドル=360円→308円にドル切り下げ、円切り上げ)と固定相場制の維持が行われた。しかしこのスミソニアン体制は長続きしなかった。1973年に先進各国は相次いで変動相場制に切り替えた[1]。

変動相場制は1976年1月ジャマイカのキングストンで開催されたIMF暫定委員会で承認された。これをキングストン体制という。

その後米国は米ソ両極体制の緊張の中、軍需産業の利益を得るため、民主化を進めるタテマエで世界の警察官を気取りだす。共産主義ベトナムへ、ちょっかいを出す。しかし泥沼に入り込んだ挙句、敗戦。

国内対策が手薄となっていたところにインフレが起こった。

プラザ合意で円高バブル

80年代に入る。レーガン大統領はインフレ対策のため通貨価値を高め流通量を減らそうと、金利を上げた。

すると高い金利の魅力に外国からおカネが集まってきた。当時の金利10%で預金すれば、ほったらかしで金持ちになれる。

米ドルの為替レートは跳ね上がり、米国の輸出企業に不利になった。貿易による対外赤字が膨らんだ。

そこで米国のオエライさんたちは考えた。

「他所の国の通貨価値を無理やり上げてやればいいじゃないか!」

こういった目論見で行われたのが、プラザ合意。ターゲットは、最も対外赤字が目立っていた日本。

プラザ合意wiki

1980年代前半、レーガン政権下のアメリカでは、前政権から引き継いだ高インフレ抑制政策として、厳しい金融引締めを実施していた。金利は2桁に達し、世界中のマネーがアメリカへ集中し、ドル相場は高めに推移して、輸出減少と輸入拡大は大幅な貿易赤字をもたらした。さらに、高金利により民間投資は抑制され、需給バランスが改善した。結果として、インフレからの脱出には成功した反面、国際収支が大幅な赤字となり財政赤字も累積していった(→「双子の赤字」項を参照)。

インフレが沈静した後は金融緩和が進行し、アメリカは復活したと言われるほどの景気回復で貿易赤字増大に拍車がかかった。金利低下により貿易赤字国の通貨であるドルの魅力が薄れ、ドル相場は次第に不安定になった。こうした状況の下、1970年代末期のようなドル危機の再発を恐れた先進国は、協調的なドル安を図ることで合意した。とりわけ、アメリカの対日貿易赤字が顕著だったため、実質的に円高ドル安に誘導する内容だった。これがプラザ合意である。

発表翌日の9月23日の1日24時間だけで、ドル円レートは1ドル235円から約20円下落した。1年後にはドルの価値はほぼ半減し、150円台で取引されるようになった[2]。

日本においては急速な円高によって円高不況が起きると懸念されたが日本銀行は公定歩合を引き下げずに5%のまま据え置き、逆に無担保コールレートを6%弱から一挙に8%台へと上昇させるという短期市場金利の「高目放置」に踏み切った[3][4]。その後、公定歩合の引き下げに動いたのは翌1986年になってからだった。このため、1985年には非常に金融引き締め的な経済環境になっていたと推測され[5]、その結果その後数年間のインフレ率は低迷した。このインフレ率の低迷と公定歩合の引き下げ長期化予想を反映して名目金利が低下したことが、貨幣錯覚を伴って不動産や株式に対する投機を促し、バブル景気をもたらしたと考えられる。

つまり

意図的な円高政策により、日本の株や不動産のバブルが始まったのだ!

ニッポンジンは勢い余ってロックフェラーセンタービルなんか買っちゃった。が、成金エリートが高いビル買ったところで、デービッド爺さんみたいにはなれませんがな!

ところで、ドル円以外の主要通貨ユーロやポンドは、レートが「1」に近くて分かりやすい。逆に、ドル円を分子分母逆転すると0.008なんてちっちゃい数字になってしまい、分かりにくい。

分かりやすくするため100円を1ドルに見なして分母分子を逆転させて表示させたのか?とも考えられる。

しかし、どうせならドスン!と円高にして「1ドル=1円」にしてくれるといいんですがね。ニッポンは内需と輸入だけでやってけばええ。輸出産業なんぞ要らんわ!

次、

日本における投資商売の姿

外国為替証拠金取引wiki

日本では1998年に外国為替及び外国貿易法が改正され、ダイワフューチャーズ(現・ひまわり証券)、豊商事などが取扱いを開始、ブロードバンドの普及も手伝って市場が急速に拡大した。商品取引員、証券会社のほか、本取引を専業で取り扱う外国為替証拠金取引業者もある。取引の仕方によっては非常に高いリスクを負うため、実際の取引にあたっては外国為替相場に関する十分な知識や経験を要する。市場の動向を24時間常に監視しておく必要がある。これに対しては人工知能 (AI) に基づき市場動向により相場の変化に際して売り買いする機能を持った個人向けアプリケーションソフトが開発されており、それらの援用により個人投資家でも場合によっては高い収益を上げることが可能になっているが、最終的な責任は個人に掛かってくる。

FXが普及しだしたころは、先物取引と同列の扱い。当時のトレードって、今みたいなネット取引は無かった。代わりに証券会社の「外務員」というのがいて、彼らに電話で注文を指示するのが一般的。

外務員はトレーダーから

害務員

とも呼ばれていた。

なぜかというと彼らはいかに客に建玉(ポジションのこと)多く持たせるかが勝負。客に積極的に建玉の指図をすることも多かった。

「お客さん!利が乗ってますよ、もう一玉いっときましょう!!」

と勧誘。すると、なぜか必ず次の日にローソク足が逆行する。

すると、

「お客さん、追証です!今日中に振り込んで下さい!」

「今日は間に合わんわ!もう、知らん!」と言うと、遠路わざわざやってきてくれるサービスぶり。

・・・

彼らもカバー取引してるはずで、熱心な営業をしておいて

メインの稼ぎがチマチマした手数料収入だけという事は、決してあるまい。

チャートなんぞ見て時間指定で細かな指値注文なんかすると、「何でですか?」とめんどくさがられるのだった。

当時を知ってる人たちは

ニッポン的投資商売のホントの姿

というのを見抜いているんじゃないでしょうか?

ところで今の日本の投資業界でもこういう体質はバッチリ残ってって、スイスフランのユーロペッグ外しの時なんか億の追証を請求された人もいるとか。(Yの付くとこだったかな?)

こういった背景から察するとドルの価値が動いてんのか円の価値が動いてんのか、トレーダーに分かんなくさせる作戦か?と邪推してしまうのであった。

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