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「政策」が必ず失敗する原理

サル山思想史概論

投稿: 更新:2017/08/24 by

リバータリアン

真実とは、残酷なまでにシンプル。今のニッポンの政治・経済の問題全て、官僚(ニッポンでは、政治家は”役者”)が、どんなに頭ひねって政策を考えようが、絶対に、確実に、まったく、上手くゆかない根拠を明かします。

目次

微分がもたらす「誤謬」原理

中学か高校か忘れたが、数学の授業に「微分」というのが出てくる。

微分のやり方

というのは、教科書にこういった曲線描いた説明図があって、

微分

全体を見ると曲線だけど、A地点を拡大すると、a-bという直線に見える。直線だから、傾きの「式」(法則性)が得られる。その傾きの線を曲線に乗せると、点Aに接する線が描かれる。

しかし、曲線と直線だから、a-bの傾きの線は曲線の終点Bには接しない。

つまり、曲線のちっちゃい部分を拡大すると、傾きの法則を得ることが出来る。しかし同じ法則(傾き)で遠くまで(線を伸ばして)ゆくと、全く違う場所にたどり着いてしまう。

図で表すと、「当然だよね」と理解できる。が、

この、「部分から法則を得る」という「微分手法」を、社会現象に使ってしまったとき、ニンゲンは自分がやってる事がもたらす結果を認識できず、マチガイをやらかす。

過去の政治・法・経済すべて「微分」で失敗

これは、微分による、シャレにならない勘違いの話。

欧米の法思想史(法哲学)の系図

は、下の図ようになっている。「日本は関係ないじゃないか!」なんて思ってるとダメ。

少なくとも明治以降、日本は、政治も法も経済も、欧米のサル真似をやってるだけなのだから。根本原理を、未だに理解出来ぬまま。

ヨーロッパ法思想史略図

(副島隆彦著「余剰の時代」より)

この「余剰の時代」という本の、

余剰とは何か?

たとえば今の時代、デフレ不況といわれる。デフレだと生産物が売れなくて、モノが売れないから、雇用も減る。この、余ってしまうモノや人間が、「余剰」である。

この余剰の問題に対し、歴史上行われてきた解決策が、スクラップ・アンド・ビルド。意図的に戦争を起こし、武器を大量消費。ドンパチやって、大勢殺して、町も破壊、すると終戦後復興での、再度の有効需要を創り出すことができる。

問題解決のやり方がやり方なものだから、知識人の間で「余剰」は、人類最大級の問題とされる。公の場でこの問題を語ってしまうと、マズいのだ。

・・・

しかし、この図を見て、僕は気付いた。なぜ文明が進むと、余剰になってしまうのか?。

原因は「微分」じゃねえか?と。

下手に平等な権利を実現しようとして、頭ひねって戦略を考えてしまうから、結果が的から外れてゆくのだ。

上の図を、僕の解釈で説明。

前提として捉えておかなければならないのが、

ヨーロッパの法思想は対立する2つの流れがあり、それはローマキリスト教と反キリスト教の各派が作り出したもので、大きく分けると、自然法論と人定法論(法実証論)である。

メインストリームは自然法論。自然法というと、日本人は「自然を観察して、科学的なのかなぁ?」と勘違いしてしまうが、そんなイメージとは、全く違う。

自然法論の実態は、バリバリ宗教ベース。

まず、右側の①②③③’はまとめて「自然法論」と呼ぶ。途中にもいろんな学者さんがいるが、単純化するため省略。

自然法論

の系譜を順番に見てゆく。

①自然法派

古代ギリシャの哲学者たちは、ニンゲン世界の法則性は何か?を考えた。その根拠を自然や宇宙の法則性、人間が神から与えられた理性に求めた。ニンゲンは「神」によって創造されたものだから。ギリシャの思想は、ローマ時代の修道院やスコラ派の学問に受け継がれる。自然法派は近現代においても保守思想の中心を占める。

考え方としては、貧富の差や争いがあっても、それは法則の現れであるから、法則を逸脱するようなおせっかい政策はやるべきではない、とする。

バーキアン(エドマンド・バーク)

バーク保守主義はフランス革命により提示された〈社会契約〉ではなく、〈本源的契約〉を重視する。多年にわたり根本的に保持してきたものの中に〈本源的契約〉の存在を見、その表れである祖先から相続した古来からの制度を擁護し、それを子孫に相続していくとする政治哲学である。この故に、自然的に発展し成長してきた目に見えぬ“法(コモン・ロー)”や道徳、あるいは階級や国家はもちろんの事、可視的な君主制度や貴族制度あるいは教会制度においても、ある世代が自分たちの知力において改変することが容易には許されない“時効の憲法(prescriptive Constitution[2])”があると看做す。

微分する。

②自然権派

一気に時代は飛んで、17世紀。

ヨーロッパでは、魔女狩りのピークや科学の進歩、清教徒革命、小氷河期が重なり、人々の権利意識が芽生えると同時、生命の危機にも脅かされた時代。英国のジョン・ロックは、文明国の国民の権利のベースとしての、自然権と社会契約説を考え出した。

ロッキアン(ジョン・ロック)

ジョン・ロックは何人も侵すことの出来ない各人固有の権利(right of properties)として「生命(life)」「健康(health)」「自由(liberty)」「財産(possessions)」の4つを掲げて[2]自己保存の中に更に広範な自由の概念や財産権を含み、国家(政府)は社会契約(統治契約)によって成立するもので、国家(政府)が統治契約に背いてその自然権を侵害すれば、国民は抵抗権(革命権)によって革命も正当化されるとして自然権の優位性を唱えた。ロックの思想は自然権の社会化をもたらすとともに、資本主義や市民社会に理論的正当性を与え、アメリカ独立革命などの市民革命に大きな影響を与えた。

この辺までは、「まぁ、そうだよね」と納得できるレベル。

ここで、重大な微分を行う。

「自然権思想に至っても、不平等は解消されないじゃないか!」と、憤ったジャン・ジャック・ルソーが、問題提起。彼は独自の社会契約説を唱えた。

  • 民は、「国家を作るぞー!」と、共通の問題事項を一般意思として国家を成立させる。(この一般意思というのが難解で、理解できない。おそらく誰も)
  • ひとたび一般意思により国家が成立したなら、国民は平等となり、等しく一般意思に従う、とされた。それで上手く行くはずだ、と。

そしてルソーの思想に基づいて、フランスで革命が起こり、皆が「おぉー!」となった。

が、自由と平等を実現するはずの「一般意思」の執行者たちは、ギロチンを使って、バンバン人殺しを始めた。敵味方見境なく。これにより、ルソーの社会契約説は宗教人や知識人たちから「悪魔の思想だ!」と批判を浴びた。

ここにおいて、世界初、「おせっかい平等主義」が、暴走する権力を誕生させたのであった!

・・・

2回まとめて微分

③以降は、ダメダメなのが実証済みであるから、説明省略。

  • 人権派は現代の社会主義者、共産主義者、いわゆる左翼。ソビエトの崩壊で無効が証明。
  • 動物の人権派は、「イルカやクジラがかわいそう!」と主張するグループ。じゃあ、ブタやウシやニワトリやハエやゴキブリはどうなの?かわいそうじゃないか!

このように、歴史を通じ、ヨーロッパでは自然法論が圧倒的に強い訳だが、その理由は

ローマキリスト教会の権威が、バックにあったから!

ニッポンの歴史教科書では、自然権とか人権とかいったものは王様の圧政と戦って一般ピープルが勝ち取った、という事になってる。しかし、実際の内容は、「ニンゲンの権利は神から与えられたものである」という、キリスト教がベース。

一般ニッポンジンは、ローマキリスト教会は「イエスの教えを説いてるのかなぁ?」と思ってしまう。しかし、そもそも教会が設立されたのは・・・

”イエスは安息日に不治の病を治したり水の上を歩いたりして、石に刻んだ神さまとの契約ルールを破って、怪しげな魔術を広める罪を犯し、当時の権威あるエラい人たちが、「コイツ怪しい、罪人だ!」と、ひっとらえてハリツケにして殺したんだから、生まれつき罪を背負ったオマエたちは、人類全体の罪を背負って死んでくれたイエスさまのハリツケの像をありがたく拝んで、永遠に懺悔し続けなさい!十分の一のお布施も、忘れす私たちに払い続けなさい!”

という、歪んだ考え方が起源。どういうことかというと、長くなるので、別の機会で。

ところで、

この、絶対に上手くゆかない「おせっかい微分」のやり方を、現代民主主義国家の中枢にいる者たちが、意図的に用いればどうなるか?

これは、歴史上最も稼げるやり方である。

政策が上手くゆかない度に”増税”の理由付けが出来て、自分たちのところへ、毎年大金が継続的に舞い込んでくるのだから!

これから世界が向かう方向と、「真に余剰な者たち」

最後に④の

人定法派

人定法主義というのは、法学で法実証主義といわれる。ジェレミー・ベンサムというおっさんが、有名。ベンサムによれば、神がいるかいないか、関係ない。法は人間が勝手に作るものであり、「快楽」の総和を最大化すれば良いのであって、それが「良い法」だ!と考える。反射的に、国家は弱者の救済目的だろうが税金かけたおせっかいは、一切やるべきでない、とする。

ベンタマイト(ジェレミ・ベンサムの功利主義)

ベンサムは法や社会の改革を多く提案しただけでなく、改革の根底に据えられるべき道徳的原理を考案した。「快楽や幸福をもたらす行為が善である」というベンサムの哲学は功利主義と呼ばれる。ベンサムの基本的な考え方は、『正しい行い』とは、「効用」を最大化するあらゆるものだと言うもの。ベンサムは、正しい行為や政策とは「最大多数個人の最大幸福」(the greatest happiness of the greatest number)をもたらすものであると論じた。「最大多数個人の最大幸福」とは、「個人の幸福の総計が社会全体の幸福であり、社会全体の幸福を最大化すべきである」という意味である。しかし彼は後に、「最大多数」という要件を落として「最大幸福原理」(the greatest happiness principle)と彼が呼ぶものを採用した。ベンサムはまた、幸福計算と呼ばれる手続きを提案した。これは、ある行為がもたらす快楽の量を計算することによって、その行為の善悪の程度を決定するものである。

どういうことかというと、

「人権?そんなものがあるなら目の前に取り出してオレに見せてみやがれ!出せねぇだろうが~!無い物を在るなんてウソついて勝手に規制を作るな!オレは勝手に好きな事をやる、オマエらも勝手に好きな事をやれ!弱者を救うだと?そんなおせっかいの屁理屈でオレから税金を取り上げようなんてヤツは、容赦しねぇぞ!分かったか!」

といった感じ。

これは、現代の米国、リバータリアン思想に繋がる。リバータリアンは、反税金かつ反官僚。

取り上げた税金でアテが外れてばかりのおせっかい政策なんぞ一切やらん方が、世界の富(快楽)は圧倒的に増大する

ということ。

トランプ政権の支援者は、リバータリアン思想といわれる。ただ、選挙で民衆が政治を動かしたのか?というと、そうとは言い切れない。米国民がネオコン・エリートたちの「おせっかい利権」に気付いたというのもあるが、

トランプさんが勝てたのは、昨年、新世界秩序のサル山最高経営責任者である、デービッド爺さんと打ち合わせ済みだからであって、サル山の”神”の決断により、世界の流れは、

リバータリアンでGO!

と決まった。

なので、バノンのおっさんが辞任しようが、たとえトランプさんが消えても、替わりは次々と出てくる!

ニッポン天皇の譲位表明も、無関係ではない。

昨年からの世界の動きは、

微分詐欺による、公を私物化した、ゴミだらけの時代を終わらせる意志

を示しているのだ!

しかも、それにより根源的支配層にとっての大幅なコスト削減が実現される。これまで利権のブラックボックスでリベート抜かれ、とんでもなくコストがかかり、めんどくさかった子分管理業務が一切不要かつ、ぼろ儲け。

「サル山ステータスとブラックボックス」

従って、

これからの世界で「余剰」なのは、サル山の途中にいて、国家の「おせっかい利権」に群がってる奴らに、決定!

まぁ、気付かないままこれまで通り、ノンビリやってくれれば、世界中の悪魔たちが、指を鳴らしながら出番を待ってると思うけどね!

ポキポキ

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