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「ムラ」の原理

土人の国の悲哀

投稿: 更新:2019/05/31 by

原子力ムラ

「原子力ムラが悪い」と言いますが、実はニッポン全体がムラ社会の国。時間が経つほどに民度を引き下げる、原理と構造。

目次

文明国の発達理論

文明国はどのように発達するのか?を考える材料として、国家の構成員であるヒトの成長の「段階説」が複数存在する。それぞれ異なる着眼点の理論ではあるが、私は相関性があると考える。

人生のステージ理論

人生における社会活動に着目した段階説。「仙人さん」と名乗る、海外在住コピーライター(サイト閉鎖)が解説していたもの。心理学者ユングの弟子がまとめたものらしいが、名前を誰か忘れた。

人生でのステージを、8段階に分ける。

  • ステージ1(自己中心):生物的欲求のステージ。赤ちゃん。
  • ステージ2(自己犠牲):部族社会のステージ。子ども。家族や団体、学校のクラス。集団ルールを守り、自分たちと異なる外部は敵視する。ムラ社会もステージ2。
  • ステージ3(自己中心):自己主張と反抗、チンピラのステージ。ステージ2でのルールに反抗する。
  • ステージ4(自己犠牲):従業員のステージ。組織内での協調性が重視される。
  • ステージ5(自己中心):自営業者のステージ。やりたい仕事、カネもうけで欲望を追及する。
  • ステージ6(自己犠牲):ボランティアのステージ。他人を助けることで充足感を得る。
  • ステージ7(自己中心):組織運営のステージ。企業経営。組織や仕事を「システム」として考える。思考の複雑化。
  • ステージ8(自己犠牲):悟りのステージ。法則や原理、根源を求め、物事をシンプル化して考える。

自己中心、自己犠牲、自己中心、と、ジグザグに変化する。上位へのステージ移動は順番にしか出来ない。実社会でもそうなっている。赤ちゃんが大きくなって学校へ行き、集団生活に慣れ、やがて親や教師に反抗するようになり、学校を卒業後、就職。数年でサラリーマンがイヤになったので、自分のやりたい仕事で独立。会社を持って数年すると、青年会議所とかライオンズとか稀にはフリーメイソンとか、社会人のボランティア団体と関わるようになる。やがて自分の会社が大きくなり、組織の経営者になる。

しかし経験によってステージ7と8まで辿り着く人は少ない。だが生まれつきステージ8の人がいないとも言えないし、上位ステージへの移動には社会経験が必ず必要か?というのも、断定は出来ない。

法則性として、自分より下のステージは認識出来るが、上のステージを認識出来ない。上のステージの人物に接すると、自分より下のステージに勘違いしてしまう。下のステージには自由に行き来出来る。誰でも生物的欲求などは持ってるから、1日の中でも、各ステージを行ったり来たりする。

個人に限らず、国単位でもステージが異なる。日本は第4ステージ、従業員の国。米国は第5ステージ、自営業者の国。法や政治システム、国民の思想が原因と思われる。日本人の多くには、商売人のトランプ大統領が、第3ステージのチンピラみたいに見えるに違いない。

アブラハム・マスローの欲求段階説

次に、有名なアブラハム・マスロー博士の、ヒトの欲求に着目した発達段階説。

  • 1、生理的欲求: 食事、睡眠、生殖、排泄、動物としての本能欲求。
  • 2、安全欲求: 雨風をしのぐ住居、経済的余裕、突然獣や暴漢に襲われたり、財産を奪われたりしない安全の欲求。
  • 3、社会的欲求: 所属している社会で孤独や追放感を感じない、平穏な人間関係への欲求。
  • 4、承認欲求: 名誉、名声、実績評価など、社会において尊重されることを求める欲求。
  • 5、自己実現欲求: 自分の能力を最大限発揮し、目指す自分になろうとする欲求。

4までは、欠乏を満たす欲求。5の自己実現まで行って初めて、民主主義を担えるような知性、能動性、判断力、寛容性、創造性などが発揮されるとする。晩年、段階6として、「自己超越欲求」が加えられた。

ホーキンズ博士の「意識レベル・マップ」

マザーテレサが絶賛したという、デーヴィッド・R・ホーキンズ博士の意識エネルギーの数値化マップ理論。これは扱うのが難しい。

被験者に質問し、キネシオロジーテストの筋力判定で意識の数値を計る理論。たとえ被験者が知らない質問でも筋組織は情報を持っており、質問内容の正誤判断を行える。被験者の意識レベル、質問方法など、実際のテストにはいくつかの条件がある。アタマでわからない事が、なぜかカラダの細胞は知っているという不思議。

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レベルと数値、感情と用いられるプロセスの解説をざっと拾うと、

  • 悟り(大いなる自己):700~1000(表現不可能、純粋な意識)
  • 平和(存在するすべて):600(至福、啓蒙)
  • 喜び(統合):540(静穏、神への変身)
  • 愛(愛のある):500(崇敬、啓示)
  • 理性(賢い):400(理解、抽象化)
  • 受容(慈悲):350(許し、超越)
  • 意欲(霊感を与える):310(楽天的、意図)
  • 中立(権能を与える):250(信頼、解放的)
  • 勇気(許認):200(肯定、能力)
  • プライド(無関心):175(嘲笑、得意気)
  • 怒り(失念):150(憎しみ、攻撃)
  • 欲望(否定):125(切望、奴隷状態)
  • 恐怖(刑罰):100(心配、引き籠る)
  • 悲しみ(軽蔑):75(後悔、落胆)
  • 無感動(非難):50(絶望、放棄)
  • 罪悪感(復讐心):30(非難、破壊)
  • 恥(嫌悪):20(屈辱、排除)

200の数値が重要な分岐点。200以上をパワー(力)、200未満をフォース(強制力)と呼ぶ。フォースはネガティブな力。人類全体での数値は上昇を続けており、現在はようやく200を上回ったところ。意識レベルの高い者の割合が増えることで平均値も高まり、世界がよりましになってゆく。

相関性と閾値

以上、3つの理論の相関性と、まともな民主主義が機能する最低ラインを考える。それぞれ着眼点が異なるので相関性をピタリ一致させることは出来ないが、自由民主主義国の主権者として機能しそうな人物というのは相当高いレベルが要求されるのではないか?と思う。マトモな社会の意識レベル数値として200が最低ラインであるならば、ステージでは4従業員~5自営業者、欲求段階では自己実現欲求段階となるだろうと考える。

欲求段階説では欠乏欲求がすべて満たされる必要があり、欲求が満たされることで、放置しておいても勝手に有益な人材へ次元上昇するのだから、古くから言われる「経世済民こそが良い政治」というのは、当たっている。おせっかい綺麗事道徳観念、善悪基準を押し付けたり、下手に教育を施そうとするより、単純にベーシックインカムで消費と自由時間を作るための「カネ」を国民にばらまく方が、効果がある。

人類がこれまでいろいろ発明してきたのは、「勤労が美徳」なのではなく、やりたくもない労働を無くし、「楽していい思い」をするのが本来の目的ではないのか?欠乏が解消され余裕が出来て初めて、やりたい事が出来るようになり、有益な人材が増えるのではないか?

日本ムラのレベル論

日本は法治国家。社会ルール、個人と個人、個人と組織、権利義務の範囲と限界は、紙に書いた法律、成文法で決められる。

文明開化のカラクリ

国内におけるホーリツの親分は憲法。国内全てのホーリツとジョウレイは、根本思想である憲法に違反してはならない。

憲法の歴史。明治維新。尊王攘夷のスローガンで、全国の有志が、天子さま(天皇)を、現人神として担ぎ出した。明治天皇は自ら憲法を公布、ニッポンは立憲君主の法治国家となった。

法律=クソ

社会学者の小室直樹氏は、「天皇崇拝の正体はキリスト教だ!」と暴露。そもそもヨーロッパで発生した法治主義のベースはキリスト教自然法論。当時の支配層には恐ろしく頭のいいやつがいたらしく、天皇をイエスキリストとして登場させ、自ら憲法を「経典」として公布してもらい、上からの近代市民革命をやった。それまでのおサムライ部族社会は、一気に欧米みたいな法治国家に変身。

キリスト教はキリスト教でも、明治憲法の本質はカトリック。もとは新約聖書パウロの「権威に従え」の思想で、権威は教会に属した。市民革命以前の社会構造。教会の戒律に従わなければ「人にあらず」。ニッポンだと、戦時中に反戦思想を訴えると「非国民」扱い、といった感じか。法律は宗教なのですよ。明治期、廃仏毀釈というのが行われてる。江戸時代に税や戸籍を扱う実質「お役所」として、エラソーにしていたお寺の坊さんの地位を、神社よりも貶め、あちこちで民衆によるお寺の焼き討ちが起こった。天皇権威国家神道の下、こんどは神社の神官たちが威張りだした。江戸時代、お寺にあったお役所権限は、国家組織へ集約。ペーパーテストの官僚天下。

2段跳びで一気に「ステージ5」へ

江戸期と明治期を、人生のステージ理論で比較。江戸時代は、幕藩体制の地域リーダーを、物理的チカラでもって参勤交代させ、無理やり中央に集めた、ムラ社会の集合体制。ニッポン全体がステージ2。いっぽう明治時代は、ヨーロッパに合わせ戒律=憲法を導入し、中央集権化させたので、キリスト教カトリックなステージ2へチェンジ。国全体でムラ社会。

江戸も明治も、海の向こうに対しては排外的な、ステージ2、ムラ社会。江戸から明治へ、法治主義へグレードアップはしたが、横にチェンジしただけ、ともいえる。

いっぽう、戦後にアメリカ影響下で公布された現行憲法は、反教会プロテスタント(あるいはユニテリアン)「自分で考える」思想。プロテスタントは教会の権威主義に反抗。自分で聖書を読み、「ルールを自分で考える」からスタートした宗派。戦後の日本は、自由を尊重し、自分で考える、アメリカ的憲法。アメリカだから、ステージ5。同じ法治主義でも、ニッポンの憲法は2弾飛ばし、一気にステージ5への、縦のチェンジ。早回し。これも偶然ではないだろう。

下へ向かうフォース

構造的問題と近未来の行く末

戦後。憲法より下のホーリツ、民法典と刑法典。なぜか戦前のものが部分手直しされながら、そのまま使われた。

結果として、現代日本は「憲法がステージ5」なのに「法律はステージ2」という、ちぐはぐ法体系の国に。憲法上は民主主義のニッポン。しかし外国からは「君主官僚制の国」と言われる。なぜ憲法に併せ法体系の全体を刷新し「市民法制定」とか、アメリカみたいな判例方式に変更しなかったのか?

ホーリツを扱う、意思決定の中心。上級国民の官僚が属するのは、サラリーマンの、ステージ4組織。それに従う国民の殆どが、これまで終身雇用が当たり前だった、サラリーマンのステージ4。

ステージ4の者たちがステージ2の、社会に重大な影響を及ぼすツールを、繰り返し使い続けると、どうなるか?問題が起こると、ホーリツで規制する。マスコミが派手に報道する事件が起きると、規制が増える。規制のホーリツを書くたびに官僚は出世するから、一方的に規制は増えてゆく。規制の実行、お役所仕事も増える。役人の仕事が増えると、税が増える。それでも大企業ビジネスマンに比べれば収入には満足ができないだろうから、特別会計や財政投融資のマネロン・ブラックボックスを運用する。不況が続けば、大企業天下り先の株を日銀に買わせる。国民には好景気と騙し、税を増やす。

松下幸之助は国家予算の一部を貯蓄に回せばやがて税金が要らなくなる「無税国家論」というのを語っていた。経済の数学では国民全体の富は増え続ける一方のはずである。邪魔しているものは何か?税に決まっている。税とは、余計なおせっかいのために、国民が役人と天下り先商売人を喰わせてやってるだけのカネだ。

このように、ホーリツの運用が、国民のステージ、欲求、意識レベルを下へ押し下げるフォースとなっている。結果、官僚と、予算に集る天下り企業の、官民癒着のムラ社会が出来上がる。ムラの原理。連合国にボロ負けした、戦前への回帰。私が言ってる意味は、どうせそのうち解る。

老いて労働、死ぬまで労働

それによって、憲法で保障された国民の自由は減ってゆく。税が増え、収入が減る。老いて労働、死ぬまで労働。不景気と不自由、コンプラ・コレクトネスの同調圧力で、下のステージへ引きずり降ろされる。欲求が満たされない。意識レベルは下がる。創造性が無くなる。経済は衰退、治安は悪化。

じゃあ、政治でどうにかなるか?というと、実権は官僚機構だし、政治家は官僚作文を朗読するだけ。今更選挙に行ったからといって、どうにもならない。官僚とガチで戦おうとする政治家は、おかしな消え方をする。官僚組織の中から変わり者改革者が出ても、同じ。既得権の網羅された、ガチガチ協調性呪縛の官僚組織で内からの改革は不可能。民間から革命が起こるか?も、表向き平和なニッポンで、その可能性は無い。せいぜい犯罪者扱いされるだけ。

一国民から見ると、今の体制の適法手続では、この国はどうにもならんな、という感じ。

以上のように問題は構造的なのだから、システム全体を一度ぶち壊さないと、どうにもならない。自分らでどうにもならなければ、外から壊されるのが、歴史の常。たとえば911や311を超えるような悲劇が起こっても、このまま今のニッポンが続くことによる最悪事態を避ける手段としては、「まあ、しょうがなかった」と語られる時が来るのかもしれない。官僚組織で前川氏とか、変わり者トップがヤメさせられたのは、むしろ逃がしてあげたのか?とか、最近だと刃物男。即戦力職員が奪われたのは、ホントに偶然か?もはやそこまで詰んだのか?考えてしまうのであった。

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